高見伸江さんのお母さんのこと

仲原漢方クリニック
仲原靖夫
 高見伸江さんのお母さんは、饒波恵子さんは当時、進行乳癌で全身に骨転移が見られ、車椅子に乗っておられた。私がハートライフ病院に勤務していた頃のことである。真幸先生からハートライフ病院の私に紹介されたのは、免疫療法であるBRP療法を実施すること、漢方薬や鍼灸治療を併用すること、万一の場合入院できるようにという理由であった。
 饒波さんの乳癌の局所の状態は乳癌の塊が皮膚の表面を突き破り、潰瘍を形成し、全身の骨、肺に転移が見られ、骨盤の痛みで歩行できない状態であった。このような状態で真幸先生の治療を受けて、少しなら立つこともできたし、歩けるようになっていた。
 私が診察したとき乳房は腫瘤が自潰して悪性潰瘍の状態にあった。それが治療を続けるうちに潰瘍そのもの表面がきれいになり、潰瘍面が正常の皮膚で覆われて治ったかのように見えた。癌による潰瘍を悪性潰瘍とよぶが、悪性潰瘍は浸潤性(周囲の組織を破壊して広がっていく)で、表面は壊死に陥って出血し、独特の臭気を漂わせる。したがって癌の潰瘍面がきれいになるということは一般的にはあり得ないことである。
 そこで、このように潰瘍面がきれいになるなら癌も治るかかもしれないと思われた。しかし時がたつにつれて少しずつ全身転移による痛みの症状が進行して、ついには入院せざるを得ない状況になった。
 私は真幸クリニックで饒波さんの治療の場に時々見学で居合わせたが、真幸先生は気功、あるいは念力を使ったような治療されていた。私の方で使用した漢方薬は紫根牡蛎湯、補中益気湯や十全大補湯などを使ったのではなかったかと記憶している。癌に対する漢方治療はまれに一時的に功を奏することはあってもまず治らないという一般的経験から、悪性潰瘍の表面の改善、全身状態の改善は真幸先生の治療が効いていたのではないかと思っていた。
 高見さんの文章に書かれているように患者本人の潜在能力を如何にして引き出すかが問題で、患者をギリギリの状態に追い込んで、其の人に残っている潜在的な回復力を見極めておられたことがよくわかる。その上で念力を使って、生命力を刺激しておられたように見えた。このような対応は真幸先生独特の対応で別の癌の患者さんを紹介したときも同じようなことをしておられた。その方は先生に『先生私は末期のがん患者ですよ。それでも自分でたてとおっしゃるのですか?』と不満巣を述べておられた真幸先生は後で話された。当時先生が何故そうされるのかその意図が分からなかった。
 饒波さんは真幸先生に絶対的な信頼を寄せておられた。最後はセブンスデーアドベンチストメディカルセンターのホスピスに入院された。ハートライフ病院の帰りに面会に行った時に、意識もはっきりしないように見えたので励ますつもりで『そのうち真幸先生も見えますからね。』といったら、真幸先生を待ちわびておられたと後で聞かされた。

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